モデル
僕の前には僕がいて、
僕はその僕の目を通して風景を見、
その耳を通して音を聞く。
その僕は何も語らないけど、
僕の中にはいろいろな言葉が溢れてきて、
その言葉を頭の中で反芻したり、口に出してみたり、紙に書いてみたりする。
僕の吐いた言葉が光になり音になり、それをその僕が見たり聞いたりすると、その僕は何も語らないけど、僕の中には、またいろいろな言葉が溢れてくる。
僕は、僕というものと、そうやってやりとりしている気がする。

図の要望があったので書いてみた。
山を見て、それがきれいだと思ったとして、
そのとき、なぜそれをきれいだと思ったのか、
どこまで理屈を考えても、結局は、そう感じたから、としか言いようがない。
あるいは、きれいという言葉が、自分の中の感興とどれくらいマッチしているのか
外部からの刺激に対する反応、内部からの情動は、常に自分の意識や論理の外からやってきていて、
僕らはそれを、後付けで、言葉や行為に変換しているだけなんじゃないか。
ただ、言葉として出されたものは、無為な僕にフィードバックを与えることができてるんじゃないか。
そんなことを思いました。

ぜひ図にしなさい。