intara-jukuの最近のブログ記事
10日サボった。全部忘れた。
1.気づく
2.接触する
インタラクションという現象が発生するまでに必要な、2つのステップ。
1つ目。
気づいてもらうためには、基本的に、相手の意識に引っかかる形で、登場する必要がある。
相手の顔を両手で押さえて、無理やりこちらを見させる、強制的で、軍隊的な方法は、インタラクティブという手法から外れているので、考慮しなくていい気がする。でももしかしたらすごい重要なのかもしれない。強制と自主性の境目は、言うほど簡単には引けないものなのかもしれない。僕らの生活は、たくさんの、おおむね与えられたルールにのっとって進行していてなお、僕らに強制されているという感覚は無い。例えば、通常の生活の中で時間の不可逆性について憤り、歯向かうのは難しい。
話が分からなくなった。
気づくというのは難しい。
肉体的な欲望に沿えば、比較的簡単に気づいてもらえるだろう。
でなければ、日常の中に異質を放り込むことだろう。とはいえ、誰もが日常に異質を放り込みまくっている現状にあって、なお異質であることは相当に難しい。
しかし、インタラクティブというゴールに達するための気づきというのは、少し、こうじゃないかというのが想像できる。
現状の前・インタラクティブ段階においては、気づきはそのまま接触につながり、インタラクティブになだれ込むことを目的としなければならない。
気づきは、できる限りストレートに、その後の接触で得られるものを想像できる形で、印象を与える必要がある。
何を得られるかが明快に分かり、かつその得られるものが魅力的に見えた時に、初めて向こう側からの接触が生まれる。
魅力的な報酬とは何だろう。
そろそろ具体的なことを書かないと話がどうにも進まないような気がしてきたけど、なんとかもう少しこの辺りを整理する必要があるのではないかという気がしている。
インタラクティブなものが主体の到達可能な場所にあるとする。
しかしまず主体側からアクションを仕掛けなければ、インタラクションは開始されない。
インタラクティブは主体に能動性を要求する。
さらに戻ると、そこにインタラクティブが存在することを気づかれなければ、それは無いに等しい。
1.気づかれる
2.接触される
という段階を経て、ついにインタラクションという現象が発生する。
この2つの段階を進むためには、インタラクティブ側の努力が必要だ。
気づかれるためには、まず気づいてもらう努力がインタラクティブ側に求められる。
気づかれたら、次に、あえてインタラクティブに関与する気持ちを主体から引き出す努力が求められる。
ユーザーの行動圏に気づきの印を放り込まない限り、気づかれることはないだろう。
アクションに対するフィードバックが主体にとって利益となることが保障されない限り、契約はなかなか成立しないだろう。
これは、こここそが、目下自分たちにとって最大の関心事だ。
明日はインタラクティブに至るまで②として、気づきと接触に必要となる条件についてもう少し考える。
初志は早くも萎えているけど、とにかく続ける。
主体がアクションを起こし、フィードバックが返されるまでの時間。
クリックした瞬間に反応が返されればそれはフィードバックとして認識される。
クリックして1時間後に反応があっても普通は気づかない。
クリックして1時間後に反応があることを、あらかじめ知らされていれば、待つ可能性がある。
クリックして1時間後に反応があるのは、例として極端だ。
1時間後に反応が返ってくるのは、例えばメールなどの、意思を持つ主体間でのやり取りになるだろう。
即時性のフィードバックは、身体的な快楽に結びついている。
先送りされるフィードバックは、未来への期待に結びついている。
即時性のフィードバックは、時間の概念を持たないだろう、動物とかでも楽しめる。
先送りされるフィードバックは、時間を獲得してる人間じゃないと捕捉できない。
フィードバックされるまでの時間の伸張は、音楽として、物語として、機能する。
明日は、インタラクティブに至る過程をもう少し考える。
ボタンをクリックするまでの、キーをタイプするに至るまでの、思考の流れを想像する。
今度人前でインタラクティブについて話すので、準備をしていきたい。
まずは素朴な考えを出し切っていく。
インタラクティブとは名詞なのか。
インタラクションと違うのか。
インタラクティビティと違うのか。
クリエイティブも名詞なのか。
日本語の語感として、最後の「ぶっ」で終わるところが元気があっていいんだろう。
日本語では名詞ということでいいだろう。
インタラクティブな事象はなにか。
インタラクティブとは、自分から見たとき、こちらからのアクションに対して、リアクションがあることだとする。
インタラクティブでない事象はなにか。
インタラクティブでないとは、外部に対してアクションを起こさない、内部的な行為に留まることだ。
内省はインタラクティブでないのではないか。
その行為だけ見れば、自己完結しているかに見えるけれど、
内省に至るまでに、なんらかの外在性の刺激を受けてるはずだ。
だから、時間の範囲を広くとれば、内省もインタラクティブの一部に取り込まれる。
人間の内部と外部のインターフェイスは基本的には五感だ。
でもこれはTCP/IPみたいなものじゃないのか。その上にいろんなレイヤーが乗っかっていてとてもではないけど整理できない。
インタラクティブでないとは、こちらからのアクションに対してリアクションがないことだ。
インタラクティブでない事象とはなにか。
反応しないボタンはインタラクティブじゃないのではないか。
まず、それがボタンだと認識された時点で、お互いのチャンネルは開いている。
なので、これは反応が無いという反応を返していることになるんじゃないか。
それをボタンと認識しなければ、それを押さないのだ。
アクションを仕掛けた時点で、リアクションは約束されている。
インタラクティブという行為の始まりはどこなのか。
インタラクティブであることの前提に、まずそれがアクション可能な対象であることを認識する必要がある。
そのためには、まず対象が自分に対して認識されるよう努力する必要がある。
そのためには、まず自分が対象に対して認識される価値のある対象である必要がある。
これは堂々と巡った。
ここから、人に話せるところまで整理していけるとはとても思えない。
